大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

和歌山地方裁判所 昭和43年(ワ)123号 判決 1973年3月30日

原告

池田文昭

右訴訟代理人

野間友一

外三名

被告

和歌山県

右代表者知事

大橋正雄

右訴訟代理人

月山桂

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

1  被告は原告に対し、金五〇万円およびこれに対する昭和四三年五月九日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。旨の判決。

二、被告

主文と同旨の判決。

第二、請求の原因

一、原告は、昭和四二年三月和歌山市立伏虎中学を卒業し、同月一五、一六の両日にわたり、和歌山県立桐蔭高等学校(以下、桐蔭高校という。)において、九科目(各科目とも二〇点満点)につき実施された同校の入学者選択のための学力検査(以下、学力検査という。)を受けた。

二、ところで、学校教育法第四九条によれば、「高等学校に関する入学、退学、転学その他必要な事項は、監督庁が、これを定める。」ものとされ、同法施行規則第五九条第一項には、「高等学校の入学は、第五四条の三の規定により送付された調査書その他必要な書類、選抜のための学力検査の成績等を資料として行なう入学者の選抜に基づいて、校長がこれを許可する。」とされている。桐蔭高校においては、入学許可、不許可処分が、教育内容に重大なかかわりを有する事項に関するものとして、内部的にはまず、全教員をもつて構成される合否判定会議においてその許否が審議され、多数決により議決されたところに基づいて、被告の公務員たる校長が対外的に入学許可、不許可処分をなすものとされている。

三、原告の学力検査の成績は、総合点において合格点一二〇点を優に超える一三八点で、しかも出身中学校から送付された調査書その他必要書類(いわゆる内申書)の成績も合格点に達していた。しかるに、合否判定会議において、原告を入学不許可にする旨議決し、これに基づいて校長は原告を不許可処分(以下、本件不許可処分という。)にした。

四、しかしながら、本件不許可処分は、次の理由により違法である。すなわち、

合否判定会議の席上、野球部長は、和歌山市立加太中学出身の野球達手である訴外新島某が、学力検査の成績では総合点において合格点をはかるに下廻る一〇八点にすぎなかつたことを熟知していたにもかかわらず、同人を入学させなければ、自分は責任をとらねばならない旨主張して、強引に同人の入学許可を要求し、校長もこれに賛同した結果、多数決により、原告を不許可にするのとすりかえに、新島某を入学させることを議決し、これにより校長は同人の入学を許可する一方、原告を本件不許可処分にしたものである。

五、本件不許可処分は、国家賠償法第一条にいう「公権力の行使」にあたるものと解される。同条は、いわゆる権力的作用として行なわれる公務員の職務行為のみに限らず、私経済済的行為として行なわれる公務員の職務行為を除き、広く公務員の職務行為全般に対して適用されるものと解すべきである。このことは、憲法第一七条の精神、国家賠償法の立法目的等に照らして明らかである。

六、原告は、本件不許可処分により多大の精神的苦痛を蒙つた、すなわち、

原告にとつて桐蔭高校への入学は、多年の夢であり憧れであつて、ただこの念願を果すべく勉学に勤しんできたものであるが、その労苦の甲斐もなく、本件違法処分のために一瞬にしてその夢が破れ去つたのである。これがため、原告は痛烈な精神的衝撃を受け、純真な童心と自尊心を傷つけられて、性格が懐疑的になり、向学心を著しく喪失するに至つた。原告のかかる精神的苦痛を慰謝するには、金一〇〇万円をもつて相当とする。

七、結び

よつて、原告は被告に対し、国家賠償法第一条に基づき、違法な本件不許可処分によつて蒙つた原告の慰謝料請求権のうち、とりあえず全五〇万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四三年五月九日から支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、請求の原因に対する答弁および主張

一、答弁

同第一項は認める。

同第二項は否認する。

同第三項のうち、校長が原告を本件不許可処分にしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同第四項のうち、校長が新島某の入学を許可したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同第五項は争う。

同第六項は否認する。

二、主張

桐蔭高校における学力検査の実施および入学者の選抜(許可処分など)は、正当な資料を適正公平に審査決定して行なわれたものであつて、いかなる違法、不当も存しない。もとより、原告主張のように、原告と新島某とを二者択一的な関係において判定を下したわけではない。

第四、証拠関係<略>

理由

一、原告が、昭和四二年三月一五、一六の両日にわたり、桐蔭高校において、九科目(各科目とも二〇点満点)につき実施された同校の学力検査を受験したところ、被告の公務員たる同校長が、原告を本件不許可処分にしたことは当事者間に争いがない。

二、原告は、要するに、桐蔭高校長がした本件不許可処分が違法であることを理由として、右高校に入学できなかつたことによる精神的損害の賠償を、国家賠償法第一条に基づいて訴求するものである。

ところで、桐蔭高校長が、被告の公務員であることは、明らかである(当事者間に争いがない。)ので、まず、同校長のした右不許可処分が、同条にいう「公権力の行使」にあたるか否かについて判断する。

地方公共団体の設置した高校、いわゆる公立高校における生徒と高校との法律関係は、地域住民の教化・育成を目的として、地方公共団体が設置した人的・物的な諸施設を含む綜合的営造物としての教育施設の継続的利用関係と解すべきであるところ、一般に、営造物の利用関係は、営造物主体と利用者との契約によつて成立するといわれているが、右のごとき教育機関としての営造物たる学校の利用関係は、該営造物が公教育目的を実施するために設置されたという固有の性質を有することからして、もとより営造物主体としての地方公共団体と地域住民との自由な意思決定に委ねられるものではなく、営造物主体が、自ら法規や条例に基づき教育的見地から一方的に定立した利用条件(利用資格・利用期間・利用者数の制限・利用方法における規律等)に合致した者にだけ利用の応諾を与えるという意味において、営造物主体には一方的な選抜権があるが、利用者にとつては、対等な立場での自由意思による考慮を容たれる余地のない限定的な契約によつて成立するものと解されるのである。

すなわち、入学許可手続に関しては、学校教育法第四九条において、「高等学校に関する入学・退学・転学その他必要な事項は、監督庁が、これを定める。」旨、同法施行規則第五九条において、「高等学校の入学は、第五四条の三の規定により送付された調査書その他必要な書類、選抜のための、学力検査の成績等を資料として行なう入学者の選抜に基づいて校長が、これを許可する。」旨それぞれ規定されているが、これらの規定よりすれば、公立高校長のする入学許否の処置は、右のごとき法規の規定に基づき、営造物主体より校長に委ねられた選抜権を行使してなす、入学志願者に対する、施設利用の応否の処分であると解すべきである。

そして、右にみたように、公立学校における在学関係は、国民の教化・育成を目的とする学校という営造物の継続的な利用関係であるから、本来、権力行使によつて国民を支配することを本旨としない、いわば一種の管理関係に過ぎないとも考えられないではないけれども、他面、公立学校は教育施設としての営造物の特殊性からして、その管理・運営は、前記のごとく、学校教育法等の法規によつて固有の規制に服せしめられているのであるから、いわゆる公法関係であると解するのが相当である。

ところで、高校教育は、中学校における教育の基礎のうえに立つて、生徒の心身の発達に応じて、高等普通教育および専門的教育を施すことを目的としている(学校教育法第四一条、第四二条)のであるから、高校長が前記入学の許否を決するにあたつては、入学志願者の学力検査の結果および内申書の成績評価等の諸資料に基づき、志願者が、右教育目的を達成するために必要と思料される人格・資質・学力・知識等を有するか否かを、教育的見地に立つて総合的に判定すべきものであり、その性質はいわゆる自由裁量行為と見るべきである。しかして、校長のする入学許否の決定は、前述のごとく、営造物の利用関係の設定を一方的に応諾し、拒否する権限に基づくもので、その処分の性質は、自由裁量であるというべきであるけれども、右応否の処分をするにあたつては、自らが定立した前記のごとき利用条件に合致する場合(例えば、選抜試験において基準点以上を獲得した場合等)には、特段の事情がない限り、利用の拒否、すなわち入学不許可処分にすることは許されないところである。このことは、個人の幸福追求権および法のもとの平等原則を宣言する憲法第一三条、第一四条の精神に照しても、いわば当然の事理に属するところであるし、そもそも、入学者選抜制度自体の趣旨よりするも、そこには自ら一定の客観的準則が存するからである。しかしてその許否処分が著しく裁量権を逸脱し、あるいはその濫用にわたると認められる場合には、違法の問題を生ずると解すべきであるから、高校長の入学に関する応否の処分は、権力的作用類似の機能を有するものというべぐ、国家賠償法第一条の関係においては、同条にいう「公務員の公権力の行使」にあたると認めるべきである。

(なお、入学志願者の選抜試験における合格・不合格の判定については、右のごとき選抜試験は、入学志願者が学校施設を利用して教育を受けるだけの一定の学力があるか否かについて、専門機関が教育的・専門的な見地から審査・判定することを目的とするものであるから、事柄の性質上試験実施機関の最終判断に委ねるのを相当とし、司法審査になじまないものと考えられないではない。そして、この点に関して、技術士国家試験の合格・不合格の判定は、司法審査の対象とならない旨判示した、最高裁判所第三小法廷の昭和四一年二月八日判決―最高民集二〇巻二号一九六頁―がある。しかしながら、判定結果に影響を及ぼすような試験手続の瑕疵がある場合や判定そのものが審査・判定機関の恣意の結果であるため、それによつて志願者が不利益を被つた場合には、右のごとき、専門的・裁量的な性質を有する判定であつても、司法審査の対象として論議することが許されるものと解すべきである。)

三、そこで、本件につき考えてみるに、原告は、桐蔭高校長の原告に対する本件不許可処分は、加太中学出身の野球選手である訴外新島某を同高校に入学させるために、原告が学科試験の成績において一三八点という優秀な成績であつたにもかかわらず、これを不許可にしたものであり、入学許否の権限を濫用したものであるから、違法であると主張するものである。そこで、証拠を検討するに、

<証拠>によると、本件当時の桐蔭高校における入学者選抜の方法は、次のごとき手続を践んでなされていたことが認められる。すなわち、校長が任命する教頭を含む一〇名前後の職員によつて構成される選衡委員会が、まず、志願者の出身中学校から送付される内申書および一科目二〇点満点とする九科目の学科試験の結果を主たる資料として、志願者の合否原案を作成する。校長は、右原案を全校職員会議(合否判定会議ともいう。)に諮問する。そして、右職員会議の答申を参考として、校長(多くは、右判定会議に出席する。)が最終的に志願者に対する合否を決定する。以上のような手続が践まれていたことが認められるのである(なお、この点について、入学許否の決定権は校長を含む全校職員会議の権限に属し、校長はその決定にしたがつて、対外的に意思表示を行なうものに過ぎない、との原告の主張にはにかわに左袒し難い。前述のごとく、入学許否の処分は、営造物主体より校長に委ねられた選抜権に基づくのであつて、最終的な決定権は校長に存するものと解すべきである。)。

そこで、右のごとき合否判定の過程において、果して原告が主張するごとく、校長に判定権限の濫用があつたか否かについて案ずるに、

<証拠>によると、本件桐蔭高校における昭和四二年度の志願者に対する合否判定会議(全校職員会議)は、同年三月一九日に行なわれたのであるが、右会議において、当時の野球部長より、志願者のうち中学在学中から野球をやつていた生徒について、学科試験の成績が必ずしも良好ではないけれども、桐蔭高校における体育振興のため、この者を合格としてはどうかとの提案がなされ、右提案をめぐつて例年になく長時間議論されたことが認められる。しかしながら、右証言を以つてしても、原告の主張のごとく、原告の学科試験が上位にあつたのにかかわらず、野球のよくできる新島某なる生徒とすりかえ合格の決定がなされたとまでは認め難い。また、<証拠>によつても、原告の右主張を認めるに足りない。他に、原告の右主張を肯認するに足る証拠はない。

かえつて、<証拠>によると、長時間に及ぶ慎重審議の結果、多数決により適法に、同人を入学許可として諮問する旨決定されたことが認められるのであつて、右事跡に照せば、その間に何ら違法はなかつたものと推認しうるのである。

以上、要するに、本件不許可処分には、判定権限を著しく逸脱し、あるいはその濫用があつたと認めるべき証拠はなく、右処分を違法とは断じ難いものである。

四、以上のとおりとすれば、本件不許可処分が違法であることを前提とする本件損害賠償請求は、爾余の点について判断するまでもなく失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(諸富吉嗣 大藤敏 喜久本朝正)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例